何かの存在。

染めるとは何?

 

前田雨城先生に教わったままを書けば

「植物のすべてを取り出して、布に移す」こと、と、なる。

そう言うと、曖昧なものを感じる人もいると思うけれど

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その方法を実践していってみれば

その考えはどこにも無駄がなく、緻密な観察と考察の末の「信念」だとわかる。

今の私たちには、単純すぎる答えほど、難しいものなのかもしれない。

 

現代の私たちも、古代の人と同じく

自然に対する信仰心のようなものを持ち

その上で植物からいただく色素へのあこがれを持ち

自然からの色を染めることに

大いに価値をおいているのだが、

その興味がどうしても、色彩そのものにしか向かわない。

 

植物から本来は、薬効を取り出していたことを

簡単に考えすぎるからかもしれない。

現在は、代わりの薬が存在すると思っているから。

 

実は、現在でも例えば硬紫根などの薬効成分は

十分にオンリーワンなのだそうだ。

 

そのような薬効を含むすべてを取り出すためには、当然ながら

まさに薬草といえるものを手に入れる必要がある。

または、必要な条件を整えて育てなければならない。

 

もちろん、いろいろな同じ名前の商品は染料店で売っているのだが、

その染料はしばしば、

古代の染めに使えるような条件の製品ではないのだ。

現代の草木染めには使えるのだから、それはそれでよいのだが。

 

古代の染めに使われた草には何かがあり

同じ草でも普通のものには何かがない。

 

何かがなければ、色も全く違えば、染まり方も変わってくる。

そういうわけで、古代の染めでは染料を手に入れて、染液を作るまでで

仕事の8割を占めると言うことになるのだ。

 

さて、もう一つのキーポイントは

現代人は古代の「長さと質」の意味を軽く考えていることだとおもう。

古代とは、

古代と呼ばれるその時期までの、少なくとも1000年単位

もしかしたら1万年単位の思想、科学体系の総集編なのだ。

 

勿論、現代の様々な物理法則の発展も

数百年の歴史を持ち、その前段階も含めれば

人類の歴史の積み重ねがそれを生んだともいえるから

3万年の成果と呼ぶことも出来るけれど。

 

ただ、注意しておきべきなのは、

直近の現代人は日本の古代期までの生活や信仰と、

かなり断絶した地点に立っているいるために

(近代化、ということですね)

なにか、世界と向き合うための大切ななにかを、

大幅に意識から失いつつあると言うことなのではないだろうか。

現代という時代が、物事の微細な真実の姿を見えなくしてしまっている。

 

古代の染めの学びを通じて私が知ったこと、これからも探求していきたいこと

そして、自分の講座で学ぼうとする方々に伝える内容の

ほとんどが、この、「失われつつある何か」だ。

(残りは、科学的な基礎知識やその使い方。これに関しては私から学ぶよりももっと

 良い方法があるかもしれない。)

 

失われつつある何かを

あえて一言で言ってみれば、

「この世界には目には映らない微細な実態があり、

 それを人は感じ取ることが出来るし

 まさに、そのこと、モノが物事を起こす力なのだ」ということだ。

また、ちょっと曖昧で怪しい表現になってしまったけれど、、、。

 

具体的には、染液に虹を起こすような何かの存在だったり

地球のいろいろな部分や、現象をも利用して色を堅牢に、

また鮮やかにすることだったりするのだが

(勿論、天然の媒染剤とか、よく知られているような事柄ではありませぬ)

それについては別のコラムやお会いしたときに、お伝えできれば幸いです。

 

 

(写真は5月はじめの頃のカリヤス)